沿革
部会長 永田靖 (広島大学 放射線腫瘍学)
本部会はもともと日本高精度放射線外部照射研究会であったものが、2016年に日本放射線腫瘍学会の第3の部会として発足したものであります。またこの研究会も元々は日本体幹部定位照射研究会でありました。
そこでここでは、その発足の経緯につきご説明したいと思います。我が国では元防衛医大の植松稔先生や北見日赤の有本先生が小線量を寡分割で肺の早期病変に照射する技術を開発され(旧厚生省坂本班)、それらは旧厚生省阿部光幸班会議等で臨床成績が報告されました。その名称についても、1回照射である「定位手術的照射」と分割照射である「定位放射線治療」を合わせて「定位放射線照射」とすること、また分割照射が中心の体幹部病変には「体幹部定位放射線治療」として命名することになりました。
しかし1999年の時点では、まだこの治療法は健康保険では採択されておらず、まずその入り口である「高度先進医療」を進めてゆく必要がありました。そこで、1999年4月6日に日本医学放射線学会の際に、京都大学平岡真寛先生と北海道大学白土博樹先生の音頭で、体幹部定位放射線照射の高度先進医療に関する検討会を有志にて行い、その際に脳の定位放射線治療の研究会としてすでに発足している日本定位放射線研究会の前日に集まろうということになりました。初回の会議では、(1)治療成績、(2)言葉の定義、(3)精度の議論、(4)高度先進医療申請中の北海道大学附属病院の申請内容説明、などをテーマにしたようです。
以後は、毎年2回定期的に研究会を開催し、まず高度先進医療として体幹部定位放射線治療を複数施設で申請し、めでたく2004年に健保収載されました。その後には強度変調放射線治療の健保収載を目指そうということになり、2002年より会の名称を「日本高精度放射線外部照射研究会」に改めました。2008年には強度変調放射線治療も健保収載され、次第に研究会の規模も拡大し、放射線腫瘍のみならず、医学物理士、診療放射線技師、メーカー技術者も集まって最先端の高精度放射線治療技術を評価する研究会として発展して参りました。発足時より代表世話人であった平岡先生は2011年より代表世話人を白土先生に交代されました。2013年よりは年1回のペースとなりましたが、粒子線治療の演題も増加して、発展してきました。2016年よりはJASTROの部会となり、初代の部会長は広島大学の永田靖が務めております。
本部会の使命は、規約にあるように「高精度放射線外部照射に関する基礎および臨床医学の研究を推進し、その技術の普及と発展に貢献すること。」である。今後も本部会が発展し、我が国の高精度放射線治療を牽引してゆくとともに、国際的な地位向上に向けても発展することを祈念する。
本部会の歴史
1回 | 1999年7月15日 | 神戸 | 白土先生 |
---|---|---|---|
(日本体幹部定位照射研究会発足) | |||
2回 | 2000年2月12日 | 京都 | 平岡先生 |
3回 | 2000年7月28日 | 札幌 | 白土先生 |
4回 | 2001年2月5日 | 東京 | 植松先生 |
5回 | 2001年8月3日 | 横浜 | 青木先生 |
6回 | 2002年7月26日 | 東京 | 山下先生 |
(上記より日本高精度放射線外部照射研究会に名称変更) | |||
7回 | 2003年2月15日 | 仙台 | 高井先生 |
8回 | 2003年7月26日 | 千葉 | 幡野先生 |
9回 | 2004年1月31日 | 札幌 | 晴山先生 |
10回 | 2004年7月9日 | 東京 | 国枝先生 |
11回 | 2004年12月9日 | 名古屋 | 石垣先生 |
12回 | 2005年9月2日 | 大阪 | 西村先生 |
13回 | 2006年3月11日 | 山梨 | 大西先生 |
14回 | 2006年7月16日 | 札幌 | 白土先生 |
15回 | 2007年3月3日 | 東京 | 唐澤先生 |
16回 | 2007年7月28日 | 東京 | 田中先生 |
17回 | 2008年3月8日 | 東京 | 三橋先生 |
18回 | 2008年7月26日 | 福岡 | 中村先生 |
19回 | 2009年1月31日 | 名古屋 | 芝本先生 |
20回 | 2009年7月18日 | 仙台 | 根本先生 |
21回 | 2010年1月30日 | 熊本 | 大屋先生 |
22回 | 2010年7月31日 | 滋賀 | 平岡先生 |
23回 | 2011年2月11日 | 東京 | 土器屋先生 |
24回 | 2012年2月4日 | 横浜 | 早川先生 |
25回 | 2012年7月21日 (第6回高橋信次シンポジウム7/19-20と併催) |
広島 | 永田先生 |
26回 | 2013年2月23日 | 京都 | 長谷川先生 |
27回 | 2014年2月22日 | 東京 | 笹井先生 |
28回 | 2015年5月30日 | 京都 | 小久保先生 |
29回 | 2016年2月26日 | 東京 | 中川先生 |
(上記より日本高精度放射線外部照射部会に名称変更) | |||
30回 | 2017年3月18日 | 仙台 | 神宮先生 |
31回 | 2018年2月10日 | 大阪 | 小川先生 |
32回 | 2019年3月2日 | 東京 | 伊丹先生 |
33回 | 2020年2月29日 | 福岡 | 塩山先生 |
34回 | 2021年3月20-21日(LIVE配信) | WEB | 溝脇先生 |
高橋信次シンポジウムについて
高橋信次記念シンポジウムの歴史は、1996年に名古屋大学名誉教授の高橋信次先生を記念して、三次元原体照射を中心に高精度放射線外部照射を普及させるべく、名古屋大学石垣教授と中津川先生を中心に名古屋で国際シンポジウムが開催されたことに遡る。その後も1998年と2001年に引き続き、2004年にThe 4th S Takahashi memorial International Workshop on 3 dimensional conformal radiotherapyが名古屋大学石垣教授を当番世話人として名古屋で開催された。2007年9月7-9日には第5回シンポジウムとして東北大学山田教授が世話人として仙台にて開催された。この時には、MDACCのKOMAKI教授と連携して既に2001年にSan Diego、 2003年に京都、2005年にHawaiiで開催されていたJUCTS(Japan-US Cancer Therapy Symposium)と併催された。ただ本会はその直前に日本に上陸した台風のため、多くの国内外の参加者が仙台に到着できず、少数精鋭での開催となった。また第5回シンポジウムの発表論文はIJROBPの2009年75巻2号に優先掲載された。その後、2009年7月18日開催の第20回高精度外部照射世話人会において、「高橋信次シンポジウムを高精度外部照射研究会の国際発表会として位置づけ共催する。」が会則第3条に追加された。次にパナマで開催予定であったが新型インフルエンザ流行のため中止されたJUCTS と共に2011年に予定されていたシンポジウムは同年3月11日の東北大震災のため1年間延期されることになった。改めて第6回高橋信次記念シンポジウムと第6回日米シンポジウム(JUCTS)と第25回日本高精度放射線外部照射研究会の併催として、2012年7月19―21日に広島国際会議場にて永田靖が代表世話人として開催された。平成28年に日本高精度放射線外部照射部会に移行するに当たり、規約の事業には「学術大会などの開催による研究の奨励、その他本部会の目的達成に必要な事業」として「高橋信次シンポジウム」の明確な記述は省略されたが、部会の幹事会では「高橋信次シンポジウムを高精度外部照射部会の国際発表会として位置づけ共催する。」ことについては、承認されている。第7回高橋信次シンポジウムは第34回高精度外部照射部会と同時期に溝脇尚志世話人によって併催される予定である。(文責:永田 靖)